歴史と伝統の宝庫・甲賀
実はスゴい! 甲賀市の「遺跡」と「文化財」
2021.04.08
「遺跡」「文化財」と聞いて何を思い浮かべますか?
難しそう?
興味ない?
あら、もったいない。
わたしたちの暮らす甲賀市は、実は歴史的にみてもスゴい遺跡や文化財がどっさりあるんですよ。
「あっても生活に役立つわけじゃないし……」
はい、そこで正論言わない!
そういうこと言うと話が終わっちゃうじゃないですか。
「この前、阿部寛が来たんだよ」
って聞いたらちょぴっとテンション上がるでしょ?
「この前、豊臣秀吉が来たんだよ」
……”この前”がどんだけ前やねん、ってツッコミはさておき。
そんな軽~い感じで遺跡や文化財に触れると、少しだけ楽しくなります。
名高き武将たちが続々入城! のちの天下人がつくった近江屈指の名城
水口岡山城跡
みなさん、一度は耳にしたことがあるであろう「水口岡山城」。
その城跡が国の史跡に指定されています。
歴史
のちの天下人・豊臣秀吉(このときは羽柴秀吉)が、天正13年(1585年)に甲賀郡の支配の拠点として中村一氏に命じて築城させ、一氏が初代城主として入城。
その後、天正18年(1590年)に増田長盛、文禄4年(1595年)に長束正家という豊臣方の重臣たちが相次いで城主を務めた。秀吉がいかに水口岡山城を重視していたかがわかる。
慶長5年(1600年)の関ケ原の戦いで長束正家は西軍に属し、東軍に必死の抵抗を試みるが奮闘むなしく敗北、終戦後に廃城となった。
城の石垣はのちに水口城の築城にあたり、部材として転用された。城そのものは破却されたが、城跡は御用林とされ、結果的に保全された。
平成25年(2013年)より甲賀市教育委員会によって発掘調査が行われ、石垣跡や枡形跡が発見され、破城の跡が確認されている。
(Wikipediaより抜粋)
この話を聞いて思ったこと。
……実質「築15年」ってコスパ悪くない?
ほとんど新築同然なんやからそのまま使いなさいよ。もったいない!
まあ、当時のやり方からすれば、負けた側の城を破却することで権勢を保つとか反抗心を削ぐとかいろいろな意味があるんでしょうけど。
余談ですが、水口町名産の「かんぴょう」は、今や栃木県がシェアの9割占める一大産地。
時の藩主・鳥居忠英が近江国水口藩から下野国壬生藩へ鞍替えになった際、水口からかんぴょうの種を取り寄せて栽培を始めたのが端緒だったそうです。
うーん、なんだか「庇(ひさし)を貸して母屋を取られる」感じ。(笑)
元祖vs本家の「かんぴょう」大戦争、開戦じゃあ~!
水口小学校の片隅に佇む、ヴォーリズ建築のおしゃれな図書館
旧水口図書館
こぢんまりとした建物がかわいらしい「旧水口図書館」。
地域のみなさんから愛されている文化財です。
歴史
ヴォーリズが設計した旧水口図書館は戦前における最盛期の作品の一つとして知られています。
この図書館は使い手の立場を大切にし、簡素でありながら、清潔感にあふれ、しかも高い実用性に優れていることに特長があります。
シンプルな中にも玄関は両脇にローマ風の円柱、上部は壁面を半円アーチ状にくぼめて書物と燭台の浮き彫りにし、玄関の上部には小さいバルコニーを配し、塔屋上のランタンなどがおかれ、「知の館」にふさわしいデザインが見られます。
建築家の間でも「珠玉の小品」と呼ばれています。
平成13年に保存活用のために、まず国の登録文化財建造物として登録され、当時の材料やデザインを生かし、耐震構造に補強され、平成16年7月より公開されています。
(滋賀県観光情報より)
「趣のある建物」とはこの旧水口図書館のようなところを言うのでしょうね。
エントランスに至るまでの小路、少し手狭な階段。春には二階の窓から桜が見えます。
ここで天井を見上げていると、まるで時が止まったような錯覚に陥ります。
今でもイベントや撮影などで使われることが多い、水口町の人気スポットとなっています。
忍びの礎から芽吹いた”戦国時代の民主主義”
甲賀群中惣遺跡群
甲賀郡中惣とは、戦国時代の甲賀武士の自治組織のこと。
今でいう区や組のようなものですね。
市内では特に集中して甲南町の新治地域に見られ、今も高い土塁や堀、曲輪(くるわ)など、中世そのままの姿が残っています。
歴史
甲賀郡中惣遺跡群は、戦国時代に甲賀の土豪・地侍という小領主による水平的連合によって甲賀郡一帯に形成された自治組織に関する遺跡群であり、滋賀県湖南地域の旧甲賀郡域に属する甲賀市から湖南市にかけての丘陵部に所在する。
甲賀郡一帯に郡中惣が形成されたのは、織田信長の近江侵攻という軍事的緊張を背景に、概ね永禄年間頃と考えられている。
甲賀武士は近江守護六角氏の軍事的主力として活躍したが、元亀元年(1570)野洲川の戦いで敗北、信長の配下に入った。
その後、羽柴秀吉の兵農分離により改易され、郡中惣は終焉を迎えた。甲賀では、郡中惣を構成した土豪・地侍によって、一辺50m四方の粘土層を利用した高く厚い土塁で囲んだ単郭方形型を基本とする城館が狭隘な谷々に数多く築かれ、さらに典型的な単郭方形型を進歩させた形態の城館も築かれた。
(文化遺産オンラインより)
この甲賀郡中惣、誰かひとり「長」を決めるわけではなく、各々の代表が議題について論を重ね、皆が納得したうえで結論を出していたそうです。
平たく言えば「自分たちのことは自分たちで決める」。それが甲賀流でした。
戦国の世にありながら、強者の圧政ではなく合議で物事を決めていた甲賀群中惣。
これがのちの民主主義につながるわけで、そう考えると忍者の祖たちは時代の最先端を走っていたのかもしれませんね。
楼門からお祭りまで文化財ばかり! またの名を「甲賀の総社」
大鳥神社
真っ赤な楼門と荘厳な境内が印象的な大鳥神社。
歴史映画やドラマのロケも頻繁に行われる人気スポットです。
歴史
京都祇園西門を模した朱塗りの楼門・回廊を配した大鳥神社は、旧大原村の氏神として信仰を集めています。
祭神はすさのおの命(みこと)で、その木像は国の重要文化財となっています。
大鳥神社の祇園祭は、夏季の水稲の守護神、疫神としての働きをする夏祭であり、歴史は古く、すでに応永22年(1415年)から祭礼が行われ、その壮観・華麓さは、夏をいろどる風物詩として親しまれています。
祭礼日は毎年7月23・24日で、「大原ぎおん」と言われており、すべての災いや病気の悪魔をはらう祭礼で、その華麗さと荒々しさで知られています。
(大鳥神社公式サイトより)
この大鳥神社、とにかくいろんなものが文化財登録を受けています。
今回は写真がなかったのですが、文中の木造神像(社伝素盞鳴命坐像)も国指定の文化財に登録されています。
国からその歴史を認められている証拠ですね。
今回は甲賀市が誇る「遺跡」や「文化財」をご紹介しました。
少し難しい話もありましたが、最後までお読みいただけて嬉しい限りです。
あと、ひとつだけ言わせてください。
それは『本物は違う』ってこと。
いくら写真や映像で見たところで、やっぱり”本物”を前にすると雰囲気が違います。
凛とした空気感というか、厳かな感じというか。
もし少しでも興味を持っていただけたなら、ぜひ今回ご紹介した遺跡や文化財に会いに行ってみてください。
先人たちが遺した歴史を感じることで、ちょぴっとだけでも甲賀市に誇りを持っていただけることを願って止みません。
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